2009年11月5日木曜日

日経連載小説「おたふく」:三十文の弁当でみんなホントに幸せになったのだろうか?

日経夕刊の連載小説(山本一力「おたふく」)は面白いので毎回読んでいる。今回は悪い役人連中が八丈島に流罪になって、いよいよ不景気だった江戸の街にも明るさが出てくるというくだり。みんな梅屋の三十文握り飯弁当で幸せになり景気がよくなったと言うが、梅屋の弁当が売り出される前は職人たちはなんか食っていたはず。もともとの弁当納入業者の「所得減」が同時に発生するので、いくら梅屋の弁当が売れても差引ではニュートラル。景気はよくなるはずはないので、おかしいなと思っていたら、今日の連載で山本一力氏の説明があった。いままで職人たちは棟梁のオカミさんが作る「麦飯弁当」を食っていたというのだ。ハハハ、とてもポリティカリーコレクト。

つまり、山本一力氏は、家事労働は生産活動には反映されない、しかも麦(パン)なんかを食うのはニッポン的じゃない、それじゃみんな不仕合わせになる、コメをコメ農家から買って食うのが幸せだとおっしゃりたいのだろうけれど、そのおかげで何十万人という江戸市民が脚気で死んでしまったのである(当時、脚気は「江戸患い」と言われていた)。明治時代も森鷗外が同じようなことを主張したおかげで何万人の帝国陸軍将兵が脚気で死んでしまった(ここ)。

思いこみが強い人間ほど始末に悪いものはない。この江戸の火消し職人たちも、こんな弁当を食いだした以上、やがては脚気で死ぬ運命か。

あまり江戸時代を美化しない方がいいと思う。例えばこれなんか読むべし:
【最終回】太陽光発電の「不都合な真実」:日経ビジネスオンライン: " 江戸期後半は、新田開発も限界に達して、最低限の生活水準維持のため、「姥捨て山」伝説の信憑性はともかく、嬰児殺し(間引き)が一般化し、人口増はマルサスの罠によって約3000万人で長らく停止した。

 一部の環境派からは、人間の屎尿を肥料として本格的にリサイクル使用し始めた江戸時代は、持続可能社会のモデルのようにも言われているが、屎尿由来の回虫が蔓延して人々の栄養状態は悪化し、男の平均身長は150センチ台、女は140センチ台まで低下、その多くの頭蓋骨には栄養失調の証拠である眼窩の「す」が見られる。"

最近のニッポンでヒステリー現象が見られる環境問題だが、「間引き」しなければ「地球環境」は守られないというのでは、まさに江戸時代に逆戻りだ。


蛇足:当時江戸の役人が八丈島に流刑になると、みんなからいじめられるので悲惨な状態となったらしい(刑を言い渡された悪徳役人は途端に失禁をする)。どうなんでしょうね。若者の間で「Iターン」とやらが流行っているらしいが、山本一力はこの傾向に警告を発したかったのかしら?

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